2020年04月12日

美しい映像でふたりを撮り続けた大林宣彦監督

大林宣彦監督が4月10日お亡くなりになった。
82歳。
グリコCMで百恵・友和ゴールデンコンビCMを1974年から7年間、
ふたりの愛の成長をまさしくドキュメンタリーのように美しく撮り続け、
またふたりを暖かく見守ってくれた。

1974〜80年グリコプリッツ、セシルチョコレート、ポッキー他CM
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78年のアーモンド、セシルチョコレートCMでは監督ご本人も出演
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78年にはゴールデンコンビ初のオリジナル作品での映画「ふりむけば愛」を監督。
ファン待望の当時のふたり、そのままの愛と青春を美しい映像の連続で作品にしてくれた。

オープニング画面、大林監督のサインのような「A MOVIE」から始まり、ハイキーな画面に「MOMOE〜 TOMOKAZU〜Take me away!〜ふりむけば愛」「愛」が赤く染まって〜このオープニングが好きだった。
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大林監督が語った山口百恵。
たくさんあるのだが、いくつか抜粋してここに記しておきたいと思う。

当時ボクが企画していた『さびしんぼう』という映画の主演候補としてホリプロから紹介されたのが最初だった。彼女はまだデビュー前の13歳で、赤坂のアマンドにセーラー服姿で学校カバンを持ってやってきましたね。結局『さびしんぼう』はタイミングが合わなかったけど、これがきっかけでグリコのCMをやることになり、つき合いが始まったわけです。
ボクはモモコって呼んでたんですよ。
-中略-
毎年正月はCM撮影で海外に行きましたよ。モモコと友和君は最初から兄妹のように仲がよかったけど、変化が出てきたのは3年目くらいかなぁ。撮影したフィルムを見てアレッと思ったんです。
演技を中断する時は「カット」って声をかけるんだけどカメラは直ぐに止まるわけじゃない。約2秒、フィルムのコマ数にして48コマくらい、カラカラとゆっくり回りながら止まるんです。その2秒分を「カット尻」と言うんですが、そこに写るモモコの表情が違ってきた。以前は、カット直後にペロッと舌を出して「うまくいったかしら」みたいな顔をしていたのに、次第に、もっと友和君を見つめていたい、という表情を48コマうちの数コマだけど見せるようになった。
カメラマンとボクはカット尻を見ながら「どうもこの顔は普通じゃない。きっとモモコは恋をしてるんだ」って話したんですよ。それからは「大事に育ててやろうよ」ということになって、できるだけふたりの時間を作るようにしました。
-中略-
CMは7年間シリーズで撮ったので、ふたりの気持ちの移り変わりがそのまま写っていますよ。CMであると同時に、ふたりの関係を綴った一種のジャーナリズムでもあったんです。
2001「週刊大衆増刊6月26日号」掲載『山口百恵 封印された8年間のアイドル神話』
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ぼくにとっての百恵は、顔はといえば唇よりはまず額。あの見るからに利発そうな、そしてたったいま床屋から出てきたばかりの少女のような、初々しい清潔な額をイメージしてしまうのです。そしてその次に、好奇心とイタヅラっぽさに満ち満ちた、くるくるとよく機転が利く心をそのまま映したような瞳。それから彼女の感受性を湛えた唇へと連想してくるのです。そういう訳で、ぼくにとっての百恵の体型は、まずその最上部からを支えて、絶妙のバランスを具体化しているのではないかと思えるのです。そしてそれこそが、ぼくにとっての百恵の精神的総てを含んだ存在感の理由になっているのです。つまりぼくにとっての百恵は、中味も外見と、プロポーションばつぐんの女性なのですね。
バアランス感覚の素晴らしさ、これこそが百恵の魅力の最もたるものであります。-中略-そしてこの類いまれなバランス感覚によって、百恵はいつでも自分自身を素直に、極く自然な状態に保っていることができたんだろうと思います。だからぼくにとっての百恵は、思えばいつでも、素顔のまんまであったといえるでしょうね。
1980「百恵・友和共演シナリオ全集 愛をみつめて<下>」掲載 『ちいさな少女のようなエピソード』
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あの子はとても賢いですからね。普通の女の子としての感受性をいつも保っている。十三、四から芸能界に入ってスターになったという特殊な環境にいるんだけれど、普段付き合っている彼女はちっとも特殊じゃない。つまり、当然特殊になるはずなのに、特殊でないというのは相当賢いんだと思うんですよ。そこに保っている感受性はまさに青春映画の素材であって、だから今回の場合はスター山口百恵と、それに関っている彼女の素顔がうまく垣間見えると、三木さんの言う演じられた役柄とは違う、役者の肉体が演ずるひとつの青春の感受性が出てくるのではないか、と思います。
山口君について言えばあれだけ広いファン層をもっていて、しかも通好みのものをもっているという凄さ、その屈折を自分の中にストレートに保存している賢さが、その凄さにつながっているんだろうと思う。
1978「キネマ旬報 7月下旬号」掲載 『我らがアイドル・山口百恵について語ろう 大林宣彦、ジェームス三木』
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モモコはいつでも、ぼくの仕事の、素敵なパートナーでした。
「はい!」
といって、相手に答え、
「はい」
といって、自分をつくり出す。
よく気が合って、そしてまた、とてもたのもしい、パートナーでした。
モモコ、はもちろん、ニックネームです。
モモコという呼び名のよく似合う、その少女を、ぼくは大好きでした。
-中略-
ひとを愛することが上手で、ひとに愛されることをもまた上手に願っている、そんなふうな少女でありました。
そういう未来に向って、ことことと、モモコはひとりで歩いて行きました。
いつも、ひたむきでした。いつも正直でした。いつでも、いちばん自分らしい生きかたに、自分を近ずけようと努力していました。
少女ならば誰でもが、どこにいてもそうするだろうと思われるように、自然に生きてきました。いつか素敵な青年にめぐり合うためには、自分自身を、その愛によく似合う、ひとりの素敵な少女に育ててみよう、と、きのうが今日につながり、今日があしたにつながっていく、そんな日々の中で。
-中略-
モモコ―山口百恵
ぼくの心の中で、あなたはいつまでも、古里の冬の日の、陽だまりの少女のように、優しく、なつかしいのです。
1980「山口百恵 screen-graphity」掲載『いつまでも古里の少女のように』
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ふたりを暖かく見守ってくれた大林さん。安らかに。
posted by kayochronicle at 23:00| Comment(0) | 山口百恵スタッフ