2020年05月12日

引退ドキュメント-42 最後の独身旅、ヨーロッパ。

40年前の5月12日(月)
テレビ朝日の引退特番収録の為にヨーロッパへ渡航。
札幌から帰京したばかりの強行スケジュール。
アムステルダム、ミラノ、パリと旅をする。
週刊明星の記事では成田空港で、「CMのお仕事で、友和さんもヨーロッパへ来るといっていました。スケジュールの調整がついて、パリででも会えるとうれしいんですけど」と言葉を残して出発。
13日(火)アムステルダム、15日(木)ミラノ、17日パリと廻り21日(水)に帰京した。

その渡航中、14日発売の「週刊平凡」5月22日号には映画『古都』に何故友和氏の出演が発表されないのか?の記事が「引退映画をめぐって重大なトラブル」と題して掲載。
「引退ドキュメント-40」に掲載したスポーツ・ニッポンの記事とほぼ同内容だが、最後にはこう記してある。

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じつは『ホリプロ』は、『古都』で新人を百恵の相手役に起用し、“山口百恵の最後の恋人”として大々的に売り出す作戦になっているという噂だ。


またこの記事には『古都』に決定するまでのいきさつもルポされている。
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引退映画の企画制作が具体的にスタートしたのは、3月の婚約発表の直後。まず、彼女の所属する『ホリプロ』の基本姿勢として「百恵の引退を飾るにふさわしい作品を、腰をすえてじっくり作りたい」という考えがあった。
 が、百恵は、ここ4年ほど毎年、三浦友和とともに東宝のお盆映画に主演してきた。そのいずれもが興行的に大ヒット。まさにドル箱的存在で、東宝もふたりのお盆映画はかかすわけにいかない。ことしのラインナップにも、当然、百恵・友和共演作が予定されていた。しかし、それを引退映画にするにはあまりに時間がなく、『ホリプロ』の基本姿勢に反する。かといって、お盆映画と引退映画の2本を撮るのは、日程的に無理。
 その決定をめぐって、『ホリプロ』と東宝との間で何回も交渉が繰り返された。そして4月末、東宝・松岡功社長の断で、秋の引退映画1本にしぼることが決まったのだ。
 企画でも関係者は苦労した。山本周五郎原作の『五瓣の椿』など数本の候補作について綿密な打ち合わせがつづいた。百恵の「私らしいものがやりたい」という希望と「『伊豆の踊子』でスタートした百恵だから、同じ川端作品で有終の美を飾らせたい」という『ホリプロ』堀威夫社長の構想を煮詰め、けっきょく、川端康成原作の『古都』に白羽の矢が立てられた。同時に、演出は市川崑監督に決定した。

-中略-

昭和38年に、松竹で映画化されたことがある。
 この松竹の『古都』では、中村登監督の抒情味あふれる演出と流麗なラストシーンが評判になったが、岩下志麻は当時を振り返って、「まったく環境の違った姉妹を演じるので、その使い分けに苦労しました。それに私、東京生まれなので京都弁をマスターするのがたいへんでしたね。
 川端文学はちょっと理解しにくい不思議な世界をあつかっているので、原作をなんべんも読み返すことがたいせつだと思います。
 百恵ちゃんもぜひがんばってほしいですね」という。
 百恵は「岩下さんの『古都』は拝見してないので、かえってやりやすい部分があるんじゃないかと思います。前作を意識せず、私は私なりの『古都』をやってみるつもりです」とッキッパリ。


当初はお正月映画ではなく秋の公開予定で話が進められていたようだが、結局お正月映画で落ちついた。
タグ:古都
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2020年05月11日

引退ドキュメント-41 初めて百恵ちゃんに会った日!

40年前の5月9日(金)
スポーツ誌には前日の「桑名正博、アン・ルイス結婚式」の報道。
友和氏と一緒に出席した百恵の写真も掲載されている。

スポーツ・ニッポン
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篠山紀信氏が「徹子の部屋」(テレビ朝日 13:15〜)に出演。
『百恵の7年間』としてデビューから撮り続けた百恵についても語る。

5月10日(土)
コンサート「山口百恵オン・ステージ‐愛が詩にかわる時‐」(北海道 帯広 帯広市民会館)

5月11日(日)
コンサート「山口百恵オン・ステージ‐愛が詩にかわる時‐」(北海道 札幌 札幌厚生年金会館)

生まれて初めて生の百恵ちゃんに会った日だ。
待ちに待った百恵の札幌公演だった。
一度77年4月に百恵は旭川までは来ているが、札幌公演はずっと無かった。
それだけに「待ちに待った」という言葉以上に待った待った札幌公演だった。
この公演には当時の国鉄が札幌近郊から「百恵列車」を走らせるというのが話題になった。
これについての詳しい記事は4月3日に新聞に掲載され、「引退ドキュメント‐20」にも記事を掲載したが、改めてこの記事を抜粋すると、

五月十一日札幌・厚生年金会館で百恵ちゃんがコンサートを開くのを機会に、臨時列車を小樽―札幌(小樽発午前十時四分)、岩見沢―札幌(岩見沢発午前九時五十五分)の二本を仕立てる。
 国鉄はコンサートの昼の部の定員二千三百人を引き受け「山口百恵リサイタル観覧団体」と名付けて、ただ今会員募集中。
道内の国鉄でこのような臨時列車を出すのは初めてのこと。それだけに絶対成功させようと参加者には百恵弁当やポスター、記念しおりをプレゼントするほか「いい日旅立ち」のレコード、サイン色紙の抽選会などのサービスをする張りきりようだ。

という訳でこの日の昼公演用に「百恵列車」が走り、コンサートチケット、百恵弁当!などがセットになったチケットが販売されていた。
今なら間違いなく昼公演をこの「百恵列車」チケットで購入し、始発駅から列車に乗り、百恵弁当も堪能し(食べないで持ち帰る)、抽選会で興奮し・・となるが、当時は中学生。
夜の公演は当然保護者同伴で観に行ったが、「百恵列車」を堪能するなんて出来なかった。
今の時代の中学生なら何でもない事だろうが、やはり当時はそんな時代ではなかった。

しかし、生まれて初めて百恵ちゃんに会える!百恵のコンサートに行ける!これだけで大満足だった。
当時主催の関係者をおばが知っていて、どこの席でも取ってもらえると言う。
おばと二人で「きっと一番前は首が疲れちゃうんじゃない?」と何と二番目のど真ん中を頼んだ。
今思うと「首が疲れる」?、百恵に初めて会うのに?はぁ・・?
となるが、何故か当時はそんな理由だった。
それでも前から二列目のど真ん中。感無量だ。

当日は早めに百恵ファンのおばと街へ出て、コンサートの時間までわくわくしながら時間まで待った。
さあ、早めに会場へ行こう、とおばと会場へ向かおうとした時・・何とおばも自分も開始時間を勘違いし、もう始まっていることに気付いた。
何という事か・・。待ちに待った生まれて初めての百恵のコンサートの時間をおばも自分も二人して勘違いするなんて・・。あわててタクシーに乗り会場へ。
当然コンサートは始まっており、百恵ちゃんが熱唱している中申し訳ない気持ちで席へ。
それもど真ん中の二列目・・。申し訳なかった。
席に着くと百恵はエネルギッシュに歌っていた、それも知らない曲を!
当時「百恵のオリジナルで知らない曲なんて無いはず!」の自分だったが、知らない曲だった。。

これは引退から20年以上してからやっとわかったのだが、2003年のCD-BOX「MOMOE PREMIUM」で未発表作品としてリリースされた『東京の空の下あなたは』、この曲だった。

しかし当時は全く聞いたことが無く、「何という曲なんだろう・・」と本当に不思議だった。

二列目、と言っても札幌厚生年金会館にはオーケストラボックスがあり、一列目でもステージからは結構距離があった。「何だ一列目で全然良かったのに・・」そんな思いもつかの間、初めて見る百恵ちゃんにうっとり、そして百恵の歌に引き込まれていった。
質問コーナーもあり、『シュルード・フエロー』では歌い踊る百恵に「百恵ちゃんの汗まで見える!」と大興奮。そして『CRY FOR ME』・・。
二部は『謝肉祭』で幕が上がり21日発売の新曲の話、スタンドマイクで歌う難しさみたいな話もしていたと思う。同時発売のアルバムの話もしてその2曲を続けて歌った。『ロックンロール・ウィドウ』『E=MC2』。
もう40年前の事だからあいまいな記憶も多いのだが、『プレイバックpart2』『秋桜』と続き・・。
最後の二曲の前、「最後に一番大事にしている曲を歌います」と言った時、後ろの中年のご婦人二人が「『いい日旅立ち』よね」と言っているのが耳に入り、自分は「いや、絶対『歌い継がれてゆく歌のように』だ」と思ったらその通りのイントロが流れた。
『歌い継がれてゆく歌のように』そして『曼珠沙華』で幕が下りた。

タイトルは「山口百恵オン・ステージ」(司会、ゲストが途中に入るパターンの場合このタイトル)だったが、司会、ゲスト等一切なしの「リサイタル」(全くのひとり舞台)の内容だった。

「あっ!」という間の初のコンサート。
時間を間違ってしまったのが本当に悔やまれたが、それより百恵ちゃんに会えた事、生で歌を聴いた事に大感激だった。
汗をかきながら歌い踊っていた百恵のまぶしい姿はずっと脳裏に焼き付いている。
その札幌厚生年金会館は一昨年、老朽化の為に閉館になった。

この日のチケット。前年10月の東京・帝国劇場での初のリサイタルと同デザインのチケット。
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興奮したまま家に帰り、22:00からはラジオでも百恵ちゃんに会えた。

ラジオレギュラー「−SONY NIGHT SQUARE− 山口百恵 夢のあとさき」(ニッポン放送 22:00〜)
第6回。前半の「THE STORY」は『ファースト・フライト』。初めての海外旅行の話。
そして「グリコプリッツ」CMでの三浦友和氏と初めての出逢いの話。

一部電波の弱い部分があり聞きづらい部分があります。



posted by kayochronicle at 23:00| Comment(97) | 引退ドキュメント

2020年05月08日

引退ドキュメント-40「古都」制作発表記者会見

40年前の5月8日(木)
前日の映画「古都」制作発表記者会見の記事がスポーツ紙、前日に続いてTVでも朝のワイドショー「ルックルックこんにちは『山口百恵お別れ映画決定!』」(日本テレビ 8:30〜)などで報道される。

スポーツ・ニッポン

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百恵の引退映画「古都」 共演者“白紙”の発表

 なぜか友和抜きの百恵の引退映画―七日、東京・日比谷の東京会館で発表された注目の作品は「古都」(監督市川 崑)に決定したが、肝心の婚約者三浦友和の共演については“未定”の発表。集まった約百人の報道陣をあ然とさせれば、友和側の事務所は「なんと水くさい」と苦々しい表情。二人のプライベートの仲はともかく、企業がからむといろいろと問題もあるようで・・・。

不満顔の友和サイド

 過去十一シリーズ、黄金コンビを組んできた友和についてこの日、ホリ企画笹井社長は「共演者は今後の交渉で、白紙」と説明。さらに「三浦君はプロダクションも違うし、共演者はこれから決める」と、新人起用のニュアンスも。
 当の百恵は「映画という形で共演できなくても・・・・・・いいです。友和さんには、昨日、会見の話をしたら“あ、そう”といっていました」というのだが、この日の会話でした」というのだが、この日の会見で「初めて作品が“古都”に決定したと知った」という友和の事務所テアル・ドゥ・ポッシュの川口義宏代表は「ホリプロさんには前々から、いくらでも協力すると伝えてあったのに。ファンから”なぜ、友和は百恵に協力しないんだ”といった電話のお叱りを受けて困ってます。共演者を他の人にするなら別ですが、発表の席では、はっきり“共演は友和”といって欲しかった」と不満顔。
 当の友和は、この日TBSのドラマの打合わせのあと「結婚発表(三月七日)の時も、彼女の最後の映画にはぜひ友情出演したいと言ったし、今も同じ気持ち。出演交渉がくれば協力させて欲しい」と複雑な表情をみせた。
 一方、市川監督も、席上「やっぱり三浦君が出た方がいいんじゃないですか?」とこれまた微妙な発言。
-中略-
 二人のコンビ作品は、東宝のドル箱として君臨して来た。今回の作品も、関係者は、とどのつまり、友和共演が正式に決まる以前に、発表をしてしまった裏には、看板スターの引退ということでホリプロ・サイドが先走りしてしまった!?とみられなくもない。
 華やかに有終の美を飾って銀幕を去る百恵はいいが、友和は今後、自立して、いばらの道を歩まねばならない。プライベートな二人の仲はともかくも、企業がらみとなってくると“百・友コンビ”も、最後の最後でピンチをむかえたということか?

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前日の同じスポーツ・ニッポンでは友和氏サイドが出たがっていないと報道しておきながら、翌日には180度異なる報道になっているが(汗)、ホリプロがこの段階で共演者をまだ決定していなかったのは事実のように思える。

TV「ザ・ベストテン」(TBS 21:00〜)生出演。
『謝肉祭』が初の1位。アン・ルイスの結婚披露宴に出席後、そのままの格好で出演。
この日スタジオにはここまで西城秀樹と石野真子のみ。

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「まずはアンたちに幸せになって欲しいです」とコメント。
また、この日のベストテンは第119回で百恵の「ザ・ベストテン」のベストテンランク・インが100回目。この日まで19回しかランキングから外れなかった。
100回目を記念して初出演の「赤い絆」〜前作「愛染橋」までVTRで振り返る。

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更に100回分の記念撮影をアルバムにしたものをプレゼントされる。
 
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タグ:古都 謝肉祭
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